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#002 汐見台団地の誕生と、その後の変化

2020年11月作成
2019年4月撮影、桜の季節の汐見台3丁目。左の建物は以前からあったものがリノベーションされたんだそうです。(写真提供:石井編集長)
今回は、汐見台団地についてご紹介します。

汐見台団地は昭和40年(1965年)に入居が始まりました。はるか昔のことですね。分譲住宅として最初にできたエリアが「汐見台第1分譲住宅」というようにナンバー入りで名付けられ、次々と入居が進んでいったようです。京浜工業地帯の企業の社宅を中心に考えられていたとも聞いています。しかし、団地全体としては、分譲、社宅、賃貸住宅が3分の1ずつに構成されていたようです。

それゆえ東芝、IHI、東京電力、東京ガス、荏原製作所、高田工業、日石、昭和電工、電源開発、県職員住宅などの社宅(これ以外にもまだありましたが、思い出せず…)がありました。また、分譲住宅の中には、借り上げ社宅として使われていたものもありました。いくつかの独身寮もありました。独身寮を管理している人から「ここにいる彼らは、将来の幹部候補生なんです」と教わったこともありました。

というわけで、そうそうたる企業の皆さんとご家族がおおぜい住んでいたことがわかります。現在では、分譲された住宅は、団地を造った神奈川県住宅供給公社の手から離れ、独立した住宅として存在しています。しかし、まだ第○○分譲住宅とか〇〇分譲住宅という名称を使っているところもあります。


さて、今から15年以上前からでしょうか、汐見台に変化が起きています。企業の独身寮や家族寮が、デベロッパーに売りに出されるようになったのです。寮だった建物が新築マンションに生まれ変わり、社宅からそこに転居した人がたくさんいらっしゃいます。新しいマンションはとってもオシャレでお部屋も広くて合理的にできています。

子ども時代を社宅で過ごしたという人から話を聞くことがありました。現在、汐見台の新しいマンションにご家族でいるのは、汐見台が大好きだからとのことでした。

お蔭さまで汐見台団地は、老朽化したとか、さびれてしまった、という言葉は聞かれません。汐見台は、多くの人達から愛されていることがよくわかります。というわけで汐見台を誇らしく思うのは、私だけではないでしょう。

突然ですが、昨年、若い頃勤務していた東京のビジネス街を訪ねてみました。勤めていたビルはもうないだろうと思っていましたが、そのままそこに佇んでいたのです。リノベーションというのでしょうか、昔の姿をかなり残しつつ周りとは遜色なく・・・。四方はすっかり建て直されているのにです。幼いころに住んでいた家でもないのに、嬉しくて涙が出そうになりました。

さて、既に50年を越えた汐見台団地。今、あちこちで大規模工事が行なわれています。綺麗な姿に生まれ変わるまで少し我慢の最中です。古くても新しい姿を見せてくれた前述のビルに通じるものを感じています。

(汐見台ニュース編集長 石井智子)

汐見台ニュースの入手方法:汐見台ニュースは、汐見台団地の各戸に無料配布されていますが、ほかにフランス料理店パレ・ド・バルブ(杉田)の入口でも無料配布されています。

汐見台は全国に7か所?

Wikipediaで調べただけなので、完全に正確かどうかわかりませんが、日本には「汐見台」という場所が全部で7か所あるようです。そのうちの3か所が神奈川県。わが磯子区のほかに、横須賀市と茅ケ崎市にもあるんですね。横須賀市の汐見台は、JR横須賀線・衣笠駅のそばにあり、茅ケ崎市の汐見台は、JR東海道線・辻堂駅が最寄りの海沿いの街です。
残りの4か所は宮城県、新潟県、静岡県、兵庫県です。全部の汐見台に行ったことがある人はいるんでしょうか?
(磯子マガジン)
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