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支配人というお仕事 〜関内BarBarBar 竹内支配人〜

2012年1月作成
BarBarBar
大きな看板が出迎えてくれるBarBarBarは、1階がショット・バーで、2階がジャズ・ライブ・レストラン。3階には音楽学校があります。
あれはいつだったか、ジャズ・ピアニスト友金まゆみさんのライブがあるということで、関内のジャズ・ライブ・レストランBarBarBarを訪れたときのこと。取材中、入口そばのフロントに座っている支配人の仕事振りに目を奪われてしまいました。

入場してくるお客さんに応対し、来月の予約をしたいとかかってきた電話をとり、飲み物や料理を運ぶスタッフに何言か指示。ステージが始まる直前には、BGMをすばやく絞る。

それらを、慌ただしい雰囲気は全く出さず、冷静かつスピーディー、でも丁寧に片付けていく。まるで高級ホテルのホテルマンのような所作。「凄い!」

そんな支配人に、僕は入場時「磯子マガジンと申します、写真撮影させて頂きます」とご挨拶しました。ライブの終了後、支配人は「僕、磯子出身なんですよ」と教えてくださいました。

「それなら、何か機会を作って、ぜひ取材をお願いしたい、お話を伺いたい!」 とは、初対面だったのでその場では口には出せず、胸に秘めていました。

そして後日、ミッキー吉野さんがエディ藩さんと共演したライブを観にBarBarBarを再訪した際、取材をお願いしたところ快諾。というわけで、今回公開するインタビューが実現したのです。

支配人というお仕事 〜関内BarBarBar 竹内支配人 ロング・インタビュー〜
Part 1 諸説あるんですが、これが本当です。
Part 2 お客様をちゃんと意識して演奏する出演者にはファンが付きやすい
◇こぼれ話 BarBarBarの2階は、むかしマジックというディスコだった
BarBarBar お店データ
Part 3 僕は五十嵐(EXILEのHIROさん)と同じ少年野球チームでした
Part 4 安兵衛! 良く行きましたねぇ
Part 5 世界中でいま磯子区が一番アツい!
◇こぼれ話 EXILEのHIROさんは、勉強ができて、スポーツも万能だった

Part 1 諸説あるんですが、これが本当です。

竹内支配人の写真
竹内 眞澄(たけうち・ますみ)さん
43歳(1968年生まれ)
出身:上中里(磯子区)
磯子区歴:0歳の時から、30年以上

--- BarBarBarがオープンしたのはいつですか。

:1984年の9月ですね。28年目になります。

--- 関内にはジャズの生演奏を聞ける店がたくさんありますが、その中でも古いほうですか。

:相当古い方ですねぇ。今も続いている店でウチより古いのは、たぶんエアジンさんと野毛のドルフィーさんぐらいかな。

ジャズ・ライブ・レストランていうくくりだと、たぶんウチが一番古いですね。ジャズ・クラブっていうのが、お酒はあるけど食事は乾きモノぐらいで、「タバコの煙でけむたい感じで渋いおじさん達が・・・」っていう感じだとしたら、ウチは、きちんとした食事もできる「ジャズ・ライブ・レストラン」って言い始めた、最初の店だと思います。

それと、飲食店全部ひっくるめても、25年以上やってるところはそう多く無いんじゃないですかね。牛鍋の荒井屋さんとか老舗も何軒かありますけどね、でも社長(BarBarBarの鶴岡社長)も「もうあんまり無えなぁ、みんなやめちゃったなぁ」って言ってましたね(笑)。

--- ところで、BarBarBarという店名の由来は?

:スロット・マシンってあるじゃないですか。あれ、絵柄が「Bar」「Bar」「Bar」って揃うとフィーバーするんですね。で、お店がフィーバーするようにという思いを込めて(笑)、名付けたそうです。諸説あるんですが、これが本当です。ちなみにお店は、フィーバーするときもあれば、全然しないときもあります(笑)。

--- (笑)。では、支配人のことをいろいろお聞きしたいのですが、BarBarBarに入られた経緯は?

:20代の時にずっと陸送の仕事をやってたんですが、30代を迎えるにあたり、「なんかこれじゃイカン」と思ったんですね(笑)。

で、何をしようかなって考えたときに、当時、いわゆるバブル景気だったじゃないですか。そうすると、会社の上司が高級なお店に連れてってくださるわけですよ。この近辺(関内周辺)の。そこで、「おいしいものを食べて、いいサービスを受けると気持ちがいいんだ」っていう経験をたくさんしまして、将来は、居酒屋みたいなお店を持てたらなぁって。

で、所属してた派遣会社の社長さんがもともと料理人だったので、紹介して頂いて何軒か受けたんです。元町の有名な割烹とかも。即、落とされましたけど(笑)。「その歳で素人はもう無理だよ」って言われて。

そんなときに、98年ですね、高校時代からの親友が「ウチ(BarBarBar)のレストランが募集してるよ」って教えてくれたのが直接のキッカケです。BarBarBarは音楽学校もやってるんですが、その親友が先にそこに入ってたんですよ。ですから、僕はジャズに興味があったわけでは全くなく(笑)。

BarBarBar 竹内支配人

--- それから10年以上、ずっとBarBarBar一筋で。

:いえ。2年半で辞めて、いちど別の店に行ってるんです。

セルテ(関内駅前のショッピング・ビル)の12階にB.B.ストリートっていうライブハウスがありますよね。あそこの社長が、ライブハウス終わった後にみんなで飲むためのバーを作りたいと。若いバンド・マンなんて基本貧乏じゃないですか。なので、安くて楽しく飲めて音楽のことをずっと語り合えるようなお店を作りたいと、そんな構想があって。僕は当時、1階(※)のチーフ・バーテンダーやってたんですけど、僕のところに来て仕事ぶり見て「店長として新しい店の立ち上げからやってくれないか」っていう話があって。(※BarBarBarは3階建て。1階がバー、2階がジャズ・ライブ・レストラン、3階が音楽学校)

僕としては、将来お店持ちたいっていう野心もあったので、(BarBarBarの)鶴岡社長に相談して、あんまり、すんなりではなかったんですけど(笑)、最終的に2000年の8月ですね、その新しい店に転職しました。

--- その後、BarBarBarに戻って来たのは、どういうことだったんですか。

:一度ここを辞めたときには、戻ることになるとは思ってなかったんですけどね。

BarBarBarの元支配人で、この辺りじゃ伝説に残るような加治という男がおりまして。僕はサービス業、商売のイロハを全部加治さんから教えて頂いたんですね。

で、僕がBarBarBarをいちど辞めて、別の店の店長をやってる頃に、加治さんも自分でお店を始めることになりまして。加治さんはBarBarBarを辞めるに当たり、どうしても後任の支配人を見つけなきゃいけない。それで「戻ってきてくれないか」って、実は僕が新しい店に移ってすぐぐらいからずーっと言われてまして。しばらくお断りしてたんですけど、三年弱ぐらいの間、ずっとそうやって言って頂いてたので、加治さんのお役に立てることであれば、という恩返しみたいな気持ちで戻ってきたんです。

もちろん、店長やってた店に比べたら、ここ(BarBarBar)は10倍ぐらい大きいですし、そういう大きな店のマネージメントとか経営管理をやるのは僕にとってもいい勉強、いい経験になるんじゃないかなって考えもあって。それで、戻ってきたのが2003年ですね。

BarBarBar 竹内支配人

--- そのときに鶴岡社長は?

:いやぁ、たぶん社長は僕が戻ってくることに対して「うん」とは言わないだろうなと思って。最後、加治さんに「社長がいいって言うならいいですよ」って言ったんですよ、言うわけないと思いつつ。そしたら「竹内ならいいよ」って言われたって。「えー」と思って(笑)。

--- 戻るしか無くなったと(笑)

:まぁでも縁だと思うんですよね。そういうのには、あんまり逆らわないように生きてきてるんで。もちろん、自分のためでもありますし。

--- そうすると、3年弱のブランクを挟んではいますが、BarBarBarではいろいろなお仕事をされて来たんですよね。

そうですね。最初の2年半でホール、バーテン、マネージャー見習いぐらいまでですね。はじめに2階で接客、ホール・サービス、2階のバーを経験すると、大体いつか「1階に降りてチーフ・バーテンダーやらないか」って言われるんです。バーテンやりたくて入って来てる子が多いので。でも僕の場合はあんまりバーテンにこだわることは無くて。「僕、お店持ちたいんで経営的なことを教えてください」って生意気にもそういう風に最初から入ったので。「1階に降りろ」って言われたときは「別にいいです」って言ったんですけど(笑)。「経験として降りろ」「わかりました」っていう。

その後、さっきお話したようにいったん別の店に行って。で、戻ってきたらすぐに、前任のマネージャーが辞めちゃったので、僕がマネージャーになって。その3ヶ月後に加治さんが退社されて、そのときから・・・、2003年の7月からずっと支配人ですね。

Part 2 お客様をちゃんと意識して演奏する出演者にはファンが付きやすい

BarBarBar 1階のショット・バー
1階のショット・バー

--- いま、BarBarBarには、スタッフは何人ぐらいいらっしゃるんですか?

:2階のジャズ・ライブ・レストランと1階のショット・バーを合わせて、社員とバイト両方で15名ですね。

--- 先ほどお話の中にも出てきましたが、支配人の下にマネージャーというポジションがありますよね。役割分担はどのようになってるんですか?

:支配人っていうのは全体的な、何にでも関わってくる仕事なんですけど、特に、対外的な仕事が多いですね。ブッキングってミュージシャン、つまり社外の人とコンタクトをとるじゃないですか。そういうことをするのがここでは昔から支配人て言われています。いわゆるお店の店長さんみたいなことをするのがマネージャーという。僕はもちろんお店にはいますけど、けっこう対外的な交渉ごとが多いです。

--- では、支配人の大事なお仕事であるブッキングについて教えてください。

:ブッキングは売り上げを作る、お店の骨格になる部分で、そこが一番重要ですよね。曜日、季節、行事、いろんな要素を考えながらミュージシャンを選んで、スケジュールを組んでいきます。行事ですとそうですね、例えば花火大会とか、すぐそばに横浜スタジアムがあるので、プロ野球の試合があるかどうか、とか。

--- 野球の有無まで考えるんですね。

:バッチリ全部は合わないですけど、そういうのを見越してやることもあります。8年ぐらいやってますんで、データを活かしてっていうことですね。最初はよく失敗しました。

--- どういう失敗ですか?

:入れちゃいけないような日に入れちゃったり。ウチは毎日、事前に決めたギャランティーをミュージシャンに払うシステムでやってます。チャージ・バック(客数に応じてミュージシャンの取り分が変わる仕組み)ではやらないので、お客様の入りが悪いと店が負担することになります。だから、支配人の責任で、集客できるスケジュールを組まないといけないんです。

でも、こちらの希望どおりにミュージシャンが予定を空けといてはくれない。逆に、向こうの言いなりに、入りたい日に入れてっても、集客はできません。全てが交渉なんですよね。今でもうまくいかない日はある。そういう苦労はありますね。

月単位でブッキングしていくんですけど、1ヶ月バチっと決まるのは年に1回あるか無いかですね。年に1回あったらいいほうじゃないですか。納得いくブッキングはなかなか・・・。

BarBarBarのステージ
2階のジャズ・ライブ・レストラン

--- お客さんの入りには、給料日も関係あるんですか?

:当初は関係あると思っていろいろやったんですけど、あんまり関係ないですね。逆に給料日前だからダメっていうこともあんまり無いです。今は皆さんもうお給料は振り込みだから、楽しみたいときに楽しむっていう人がほとんどなのかな。懐具合とかじゃなくて。ボーナス月は関係ありますけどね。

--- ほかにブッキングで気をつける点は?

:ミスをしないことですね。

1ヶ月毎日違うミュージシャンが出演するんですよね。お正月5日間休みとして1年で360日、基本的に同じ月に同じバンドは出さないんで、そうすると30日あると30バンド。それを12ヶ月やらなきゃいけない。1個も間違えないで1年間やるのを僕はもう8年間やってるんで。

ジャズの場合、ミュージシャンはバンド単位じゃなくて、ひとりひとり別個に活動してることが多いんですよ。その人たちの組み合わせを考えて、全員の日にち・名前・時間・チャージを全部間違いなく、こういう月間スケジュールにして、それを続けていくのはなかなか。

最初の頃、間違えてダブル・ブッキングしちゃって。

--- ダブル・ブッキングっていうのは、どういうことですか?

:同じ日に2つバンドを入れちゃうっていうことです。あるバンドを先に入れてたのに、忘れてて別のバンドをブッキングしちゃう。で、始まる時間にバンドが2つ来ちゃった、みたいな。

さすがにそんなには経験してないですけど。1回か2回、あるにはありましたね。向こうの勘違いかもしれないけど、こっちの経験が浅いときは言えないので。これも勉強だなと思って、「すいませんでした」って謝罪して。

それと、支配人をやり始めた当時は全部ノートに手書きでしたけど、今はパソコンを使って、なるべくメールでやり取りしてます。どっちが間違ってたかがはっきりするので。

--- ちょっと話がそれますけど、僕は支配人の、お客様との電話の応対とか接客を拝見していて、以前ホテルかどこかにお勤めだったのかなと思ったんですけど。

:全く(笑)。先輩がたくさんいますから。手取り足取り全部教えてもらってる感じではないですけども。

入社した時点で、いい加減、大人だったんで(笑)、わかんなくてもあんまり聞けないというか。わかるふりしてました(笑)。まぁ、見よう見まねですよ、ほとんど全て。

経営的なことは本を買って読んだり。いまはインターネットにもたくさん情報があるので。経済用語とか数字の見方とか。もともと僕、理数系の大学だったんで、割と客観的な数字を信じるというか。おもしろがってやってました。

--- 「このバンドだと何人ぐらいお客さんが入って」というようなデータを?

:そういうことですね。ギャラに対して何人入ってるのか、とか。結果イコール売上とか客数。経営者からはそういうところを求められるので、客観的なデータが無いと。

それと、ミュージシャンに対して好き嫌いで判断してると思われるのはイヤなので、客観的な数字を言って「しばらくご遠慮ください」と。

それも最近ですけどね。3年ぐらいですけど、そういう風にできるようになったのは。

--- 数字を出してみると、どういうミュージシャンにお客さんが入るのか、傾向がわかりますか?

:エンターテイメント性の高い、お客様をちゃんと意識して演奏する出演者にはファンが付きやすい。それはハッキリしてますね。アーティストの存在としていいか悪いかは別として、お店にとって、ということですね。

僕はそんなにジャズを勉強したわけじゃないので、お客様が喜んでるかどうかに一番興味がある。気持ちいいのか、また来てくれるのか。ミュージシャンが「あぁ気持ちいい」って言っても、お客さんが3人ぐらいだったら、もうどうにもならないワケですよ、ビジネスとして。

そうじゃなくて、お客さんの方をちゃんと向いてる出演者ですね。そういう人達が支持を受けて、お客様から「次もまた来るよ」って言ってもらえます。

ただそう思っても1年360日、そういうアーティストだけをブッキングするっていうのはなかなか難しいですけど。いろんな要素が絡み合ってスケジュールができあがる。数値にはできないところがあるので、最初はたくさん失敗もしましたけど、やっぱり経験なのかなと思いますね。

BarBarBarのピアノ--- そうすると、このスケジュールは支配人の作品みたいなものですね。

:そうですね、ほんっとに労力を使うので。翌月のスケジュールの最終入稿は、前の月の大体15日ぐらいなんですけど、その日は仕事が終わると乾杯したくなります(笑)。そういう意味で、普通の飲食店の店長とは違いますよね。ちょっと特殊かもしれないです。

だから大変ですけど、でも飽きないですね。すごく大変ですけど、飽きたなっていうときはあんまり無いです。お客様も毎日違いますしね。ライブも、まったく同じミュージシャンが出てもステージは違います。たぶんライブ・ファンていうか音楽ファンの人はみんなおんなじように思ってると思います。

--- 大体、目標どおりの集客になるんですか?

:ならないです! そうなったらたぶんね、ほんと僕、すごい人になれますよ(笑)。それは永遠の課題じゃないですかねぇ。100を目指してないと90は出ないじゃないですか。90目指したらたぶん70ぐらいしか出ない。なので、すごいもう忍耐ですよね。あとは正直に言うことじゃないですか? ギャラのこととかも。長くお付き合いするので誠実じゃないと。

--- 話が戻りますが、エンターテイメント性って言うのは、例えば曲間のおしゃべりとか、そういうことも関係するんですか?

:それも大事ですね。曲間のMCとか、お客さんを“イジる”って言いますけどイジり方とか。

何にもMCしないで、お客様を引き込む人もいるんですけどね。ただ、良い悪いは別として、たぶんそういうタイプの人はあんまりウチ向きじゃないかもしれないですね。ウチではお酒飲んで、割とちょっと酔っ払って聴くシチュエーションなので。コーヒー飲みながら没入して聴いてる人はあんまりいないんで。

--- 選曲も大事ですか?

:もちろんですね。やっぱり耳なじみのある曲をたくさんやるのがいい場合もありますし、その出演者のファンの方だけで満席になるようなケースですと、そういうことはあんまりいらなかったり。それと、お客様のリクエストにたくさん応える人は、ファンもたくさんいますね。

という意味で、毎日、正解が違うので面白いって言えば面白いですし、戸惑うって言えば戸惑います(笑)。大体もう読めるようになりましたけど。

お客様を楽しませるのは難しいことでは無い気がするんですけど、技術的なことだけに頼る人も、いなくは無いです。そうすると独りよがりな感じになりがち。若いミュージシャンに多いですけどね。やっぱりそれは勉強だと思います。

こぼれ話:BarBarBarの2階は、むかしマジックというディスコだった

BarBarBarの螺旋階段:実はここ、マジックっていう生演奏で踊るディスコだったんです。昔の横浜の遊び人はみんな知ってると思います。

一番向こうにソファーのVIP席があって、造りはこのまま。その当時から1階はBarBarBarで、1階と2階を結ぶ螺旋階段は無くて。

1987年ぐらいかな、ディスコが閉店して空いちゃったんで、誰か店をやってくれないかなって鶴岡が探してたんですけど見つからなくて、「じゃあ自分でやるわ」みたいな。それで、ライブは2階でやりましょう、1階はバーにしましょう、穴開けて螺旋階段作って1階と2階をつなげましょう、と。だからBarBarBarには、出入り口が2箇所あるんです。

BarBarBarお店データ

店名 BarBarBar
ジャンル ジャズ・ライブ・レストラン(2階)、ショットバー(1階)
住所 横浜市中区相生町1−25 若葉運輸ビル
電話 045−662−0493
アクセス JR関内駅南口より、徒歩約5分
みなとみらい線 日本大通り駅から、徒歩約5分
地図はコチラ
営業時間・
   定休日
ライブ・レストラン(2階) 年中無休。午後6:00〜深夜12:00
ライブは通常、午後7:30スタート
バー(1階) 午後6:00〜午前3:00
日曜定休(月曜が祝日の場合、日曜は午後5:00〜深夜12:00で営業、翌月曜休)
ライブ・レストランのミュージック・チャージ(入場料)は出演者によって異なります。詳しくは公式サイトのスケジュール・ページをご覧ください。
その他 駐車場:なし
クレジットカード:可
公式サイト http://www.barbarbar.jp/

Part 3 僕は五十嵐(EXILEのHIROさん)と同じ少年野球チームでした

BarBarBar 竹内支配人

--- それでは、お仕事の話はこれくらいにさせて頂いて、続いて磯子の話に。

:磯子の話(笑)。

--- 生まれたのも磯子区ですか?

:生まれは保土ヶ谷ですね。ただ1年もいなかったと思います。その後は5歳まで洋光台の北団地。日野保育園に行ってました。その後、上中里団地に引っ越して、5歳から34歳ぐらいまで上中里って感じですね(笑)。

--- 小学校は?

:上中里小です。いまのさわの里小ですね。EXILEのリーダーの一個上ですね。

--- HIROさんですね。

:はい。五十嵐(HIROさんの本名)の一個上です。

--- 家も近くだったんですか?

:同じ上中里団地で、隣の隣の隣の棟ぐらいでしたね。ホントの幼馴染です。お母さん同士も仲よかったし、五十嵐のお父さんとウチの母ちゃんは一緒の卓球クラブで(笑)。僕は五十嵐と同じ少年野球チームでした

--- どこのチームですか?

キング・バッファローズです。

--- あぁ、キング・バッファローズは今でもありますね。

:あります、あります。五十嵐とか、えっとLDHって言うんでしたっけ、EXILEの会社。あそこの取締役クラスの何人かはみんな同じ野球チームです(笑)。超幼馴染です。みんなが彼のために手助けしたり、知恵を出したり。チヤホヤされ過ぎちゃっておかしくならないようにとか。ホントの意味で仲間なんで。

BarBarBar 竹内支配人

--- BarBarBarでEXILEのライブとか。

:さすがにちょっとギャラが(笑)。ま、いつか一緒に仕事できたらいいなと思いますけどね。

そういえば、ミッキー(吉野)さんとはご一緒に仕事できて、夢のようでした。僕、一昨年、(BarBarBarレーベルのジャズ・シンガーMAYAさんの)レコーディングでずーっと一緒にいたんですよ。ランドマークの方のスタジオで。その前にもミッキーさんにはここでお会いしたことありますけど、初めて会ったときに「僕、浜中(浜中学校)の後輩です!」って言いました(笑)。「あ、そう」って言われましたけど(笑)。

--- その浜中時代、部活には入ってました?

:サッカー部で副部長でした。小学校で少年野球と、学校のサッカークラブやってて、中学でどっちをとるか悩んだんですけど、野球は坊主にしなきゃいけないって言われたんで、サッカーやろうと(笑)。その程度です(笑)。

--- 高校は?

:横浜立野高校です。アジアン・カンフー・ジェネレーションのメンバーがウチの高校ですね。あとSODの高橋がなりさんもウチの高校らしいです。

--- 高校でもサッカー部で?

:はい。毎朝7時半には学校行って朝練やってました。で、副部長でした(笑)。

--- 子どもの頃は、どんな場所で遊んでました?

:ひたすら外に居ましたね。めちゃめちゃ生徒数が多い世代で、上中里小ではグランドにプレハブが4つ。それぐらい無いと授業ができないんですよ。中学時代も、森中学ができる前だったんで一学年17クラスありましたね(笑)。だから仲間がいっぱいで・・・何してましたかね・・・、でも基本的にスポーツばっかりやってましたね。裏に山があって、ゴルフ場あるじゃないですか。そこに忍び込んだりとか(笑)。素朴ですよね。ゲームとかはあんまりやらない子だった。走って、ボール追っかけて、そんなことばっかりしてました。

Part 4 安兵衛! 良く行きましたねぇ

BarBarBar 竹内支配人

--- 話は飛びますが、大人になって、陸送をされてたということですが、それもこの辺で?

:磯子区って言いたいとこなんですが金沢区で。住まいはまだ上中里団地でしたけど。

鳥浜にあるトヨタの専用埠頭で、船の中にクルマを積んだり、おろしたり、それを一日何百台もやるっていうドライバーを7年ぐらいやってました。最終的にはグループ長みたいなのを任されて。

クルマをバンバン、凄いスピードで入れるやつです。船が泊まっている時間内にきっちりやらないといけない。特殊技能が無いとできない仕事ですね、あれは。最初はできないと思いましたから、面接のとき(笑)。「僕、無理です」って言って(笑)。

--- そんな頃によく行った店とかありますか?

:それこそ磯子とか、根岸とか、よく呑みに行きましたよ(笑)。磯子の駅前のロータリーのこっちの、パチンコ屋が入ってるビルがあるじゃないですか。

--- あいらんどですね。

:あいらんどだ!(笑) あの2階の、なんとか兵衛・・・

--- 安兵衛!

安兵衛! 良く行きましたねぇ。

あと、すっごい行ってたのは新杉田にあるバーのENTER KID'Sです。オープンしたときから行ってます。 バーで飲むのは、この業界に入る前から好きだったんですけど、十何年前の杉田にあったのはENTER KID'Sだけでしたね。オーナーさんとも仲良くさせて頂いて、あそこにスタッフをご紹介したりですとか。BarBarBarのOBを。今の店長とも仲いいですし。

それと杉田のX-Ray。X-Rayは元町店が昔からあって、オーナーの方も存じ上げていたんですけど、あるとき「杉田に店、出すんでよろしくね」って言われて。

それと、京急杉田のP-MAN(ピーマン)って知ってますか? 浜中出身のヤツラがみんな行くとこで、同級生のお母さんがやってるパブみたいな店だったんですけど、そこは30歳過ぎても行ってました。京急杉田駅の山側の出口を出て、屏風浦方面に行くとガードをくぐるとこがあるじゃないですか。その手前の左側ですね。ママさんがすごいいい人で。歴代のちょっとヤンチャしてた人がみんな集まってくるような。肝っ玉母ちゃんみたいな。一時、働いたこともあるんですよ。働いてたっていうか、お手伝いしてメシ食わしてもらったりするような感じでしたけど。

BarBarBar

--- いつ頃の話ですか?

:えーっと30歳過ぎてました。もう、この仕事を始めてから(笑)。「深夜枠でちょっとやってくれ」って言われて。

そこには、少年サッカーの大崎サッカークラブのコーチをやってたときに、お母さんと、子どもたちと、指導者のコミュニケーションを・・・、普段なかなか言いたいことが言えなかったりするので「お酒飲んで言っちゃえばいいじゃないですか」みたいな会を作ったんです。そしたら、お母さんたちが盛り上がっちゃって、みんなで良く行くようになったんですよね。結果的に少年サッカーチームは強くなりました。

--- ご自身が子どもの頃に大崎サッカークラブに所属していたわけではないですよね?

:僕はキング・バッファローズだったので(笑)。それも縁があって、港湾で働いてたときに、休み時間に港でサッカーをやってたんですよ、遊びで。そしたら「お前、うまいから、ウチの子どもが大崎サッカークラブなんだけど、ちょっとコーチやってくんねぇか」って。そしたらもうガッツリやらされて。だまされて(笑)。結局10年ぐらいやってましたかね。

大崎サッカークラブに来てたのは、磯子区の上中里付近とか、坪呑のみ近辺とかの子たちですね。梅林小、杉田小、上中里小と氷取沢小・・・合併してさわの里小になりましたけど、あと小田小(金沢区)、そのあたりの小学生が集まるクラブでした。

--- 監督だったんですか?

:いえ、ヘッド・コーチとコーチをやりました。総監督が別にいたんですけど、その方がまたいい人で。その人に魅かれてっていうのもありましたね。で、いい成績が出ちゃったもんだから、困っちゃって。最高で、県で4位でしたね。3位決定戦を横浜スタジアムでやって。僕が26歳か27歳だから、15年ぐらい前ですかね。そのとき教えてた子がいまJリーグの現役で1人、引退しちゃった子が1人。あとはマリノスのコーチやってる子がいますね。

あの頃は、めちゃめちゃサッカーしてましたね。僕は社会人になっても、草サッカーですけど、現役でやってたんで。週に5回サッカーやってました(笑)。子どもたちに教えるのと、自分と。土日と、火水金の夜。サッカーばっかりやってました。

BarBarBar 竹内支配人--- ちなみに好きな選手は?

ロベルト・バッジョっていうイタリアの選手がいるんですけど、好きでしたね。日本だと、横浜FCにいた山口素弘っていう選手ですね。

--- 以前のフリューゲルスですね。

:はい。僕、フリューゲルスのサポーターだったんで(笑)。

--- 僕もでした。最後、優勝しましたよね。

:泣きましたね、天皇杯! 泣きました、あれは。遠藤とか前園とか渡辺一平とか薩川がいた頃ですね。エドゥーとかモネールとか大好きでしたね。エバイールとか。

--- (笑)えーと、脱線してすみません。ではジャズのお話を。BarBarBarに入るまでは、全然聞いたこと無かったんですか?

:よく聞かれるんですけど、聞いてないことは無いですね。中華街とかのショット・バーで飲んでると、ジャズが流れてきて。だから普通に聞いてましたよ。

--- では例えば、中学校・高校の頃、ジャズ以外でどんな音楽が好きでしたか?

:サザン・オールスターズじゃないですかね。ゴダイゴって言った方がいいですか?(笑)。もちろんゴダイゴも、僕らの世代は僕も含め、みんなが聞いてましたよ。

あと「ザ・ベストテン」(TBSテレビの歌番組)じゃないですか、要するに僕らは。「ザ・ベストテン」は何がなんでも見るっていう。あと「ドリフ」と「ひょうきん族」は絶対見るっていう(笑)。

中学入って洋楽とか聴き始めましたね。カルチャー・クラブ、デュラン・デュラン、マイケル・ジャクソン、ワム。でも特別音楽好きでっていう子じゃなかったですね。それよりもサッカー選手とかのが好きでした(笑)。

--- プロのサッカー選手になろうとは

:その頃、プロ(Jリーグ)ができるってわかってればね、勘違いしてやったかもしれないですね。そんなに突出して上手いとかじゃなかったですけど、横浜市の選抜に推薦してもらって、選抜の控えぐらいまではいきました。でも、プロを目指したとしても無理だったと思います。本物のプロを見ちゃったんで。

--- いま、お休みのときにしていることは?

:母親の介護をしてるので。今日も病院に連れてって。老人ホームが南区にあるんですけど、老人ホームに行って床屋行って。そうやって母親と過ごすことも多いですし、あとはホントに根っから「食べて、サービスを受けて、あぁ気持ちいい」っていうのが好きなので、毎週誰かとメシ食いに行ってます。男性でも女性でも。

BarBarBar 2階のバーカウンター

---どの辺に行くんですか?

:ほとんど横浜市ですけど、今度の日曜日は池袋に行きます。ここっていうところがあれば、多少遠くても足を運びますね。横浜市ならおいしいとこ、ハズレのないところをたくさん知ってますよ。

--- どこかひとつあげるとしたら?

:磯子がいいですよねぇ(笑)。磯子区だと・・・、母親と父親が大好きだったのは、栗木にある焼肉の大邱苑。昔、母親と父親とよく行きました。親父は11年前に死んじゃったんですけど、母親に「どこ行きたい?」って聞くと今でも「あそこ行きたい」って言いますね。認知症なんでですけど、それは覚えてるみたいですよ(笑)。

あと、ラーメン屋のがんこ亭と釜利谷大将は好きですねぇ。

--- 磯子はお好きですか?

:大好きですね。それはそれは大好きです(笑)。

--- ときどき帰ることはありますか?

:ありますよ。誰も住んでないんですけど、実家がまだあるんで。親戚もいますし、子どもの頃から僕のことを知ってる人もたくさんまだ住んでらっしゃるので。ちょっと子どもが少ないのは寂しいなっていう気はしますけど。のんびりしてるところがいいっすねぇ。近所の人によく面倒見てもらいました。いまだに三十何年住んでる、上の階の人とかいますもん(笑)。全然、変わってなくて。

母親が結構、近所じゃ有名というか、自治会の役員やったり。親父も管理組合の理事長をやってたので。出歩くと、「だれだれの息子さん」とか言われることが多かったですね。悪いことできない、悪いことしたら目立つ、みたいな(笑)。

Part 5 世界中でいま磯子区が一番アツい!

BarBarBar 竹内支配人

--- 磯子でなにか印象に残ってる出来事ってありますか?

:磯子が一番凄いなと思ったのは、サッカーの日韓ワールドカップのときですね。横浜プリンスホテルに、錚々たる選手達が泊まってたじゃないですか。世界中の超スーパースターが磯子区のあのホテルに泊まってっていうのは、ちょっと俄かに信じられないと同時に、すごく嬉しかったですね。「磯子にみんないる!」って。イングランド代表、ブラジル代表、日本代表、あとどこだっけな。何ヶ国か代表チームが泊まってたんですよ。

で、ブラジルが優勝したじゃないですか。あの決勝戦(於:横浜国際総合競技場、現・日産スタジアム)、僕は1枚数万円のチケットを買って生で見てたんですけど。ブラジル代表が優勝してこっち帰って来て、横浜プリンスに帰るってわかってたんで、ホテルで、出待ちしてたんですよ。そのときに「ここ磯子区だよな!」って。「世界中でいま磯子区が一番アツい!」と思って。磯子をあんなに意識したのは、たぶん後にも先にも無いですね。

--- プリンス・ホテルが無くなってから、磯子区の外から磯子区に来る人が減っちゃってるでしょうね。

:そうですね。工場にはね、たくさん磯子区の外から人が来てると思うんですけど、一般の人が来るようなところは無いですよね。

新杉田の杉田劇場とかあのビル(らびすた)界隈ですかね。今日もちょっと前を通ったら結構、ちょっと小じゃれた良さそうな店がぽつぽつできてきてるので。昔、5〜6年前はあんまり無かったと思うんですよね、ああいう店って。たぶん僕の世代とか、もうちょっと下の子たちがどっかで修行して地元で出したいっていう人が増えてきたんですかね。月兎とかもそうじゃないですか。月兎の人もたしか浜中ですよね。

杉田商店街は言い出すと切りが無いくらい浜中出身なんで。そういう人たちが違うところのいろんなことを吸収して、集客の方法を学んでお店を出す。いいことだと思いますけど。

--- 支配人は将来?

:どこでやるかわかんないですけど、もし複数持てるんであれば、やりたいですね、杉田は(笑)。お世話になった磯子に。

杉田商店街の、新杉田駅から行くと左側にまだ1年たってないと思うんですけどバーありますよね。その隣に最近レストランできたんですよ。あそこのレストランで料理担当してるやつは元々BarBarBarにいたやつです。僕の部下でした。

BarBarBar 竹内支配人あと、隣のバーをやってるのは横浜プリンス・ホテルのバーにいた人なんですよね、たしか。大崎サッカークラブの初蹴りっていうのがあって、正月にOBと現役とコーチが集まって、昼間はサッカーして、夜は大宴会なんですよ。宴会は必ず杉田なので、少なくとも年に1回は必ず杉田で呑むという。そのときにそのバーを初めて知って。

不思議とみんな、横浜をあんまり出たがらないですよね。東京行ってあててやる、みたいなのが薄いじゃないですか。

でも、著名人で磯子に縁がある人って多いですよね、アーティスト系で。イッセー尾形さんが杉田バッティング・センターの近所の工場で勤めてたらしいですよ。矢沢永吉さんが洋光台に住んでたとかね。金沢区ですけど、竹中直人さん(俳優、コメディアン)もそうですよね。

レゲエの兄ちゃん達はウチの中学のヤツ多いですね。ファイヤー・ボールのメンバー、浜中ですよね。Chozen Lee君は、僕が行ってたお医者さんの息子さんですよ(笑)。ウチから一番近いお医者さんなので、小さい頃からLee君のお父さんに診てもらってたんですよ(笑)。「まさかチョロチョロしてたあの子が!」みたいな(笑)。

--- その後、会ったことはあるんですか?

:横浜スタジアムでイベントやるときに、ウチの社長は横浜スタジアムの社長じゃないですか。それで、ここでいちど食事会やってて。宜しくお願いしますって顔合わせたことあります。

--- そのときに上中里の話はしたんですか?

:いや、特にはしなかったですね。向こうからすれば「あんた誰?」って感じですからね(笑)。でもなんか親近感はありますね。

--- 今日はどうもありがとうございました!

こぼれ話:EXILEのHIROさんは、勉強ができて、スポーツも万能だった

:五十嵐は全然普通のやつでした。普通というか、スポーツ万能で勉強もできた。運動神経はとにかく抜群でしたね。

AVEXの松浦さんが勤めてた上大岡のレコード・レンタル店にずーっと入り浸ってて。その頃からですからね、あの二人のお付き合いは。

僕はEXILEがまさかあんなに売れるとは思って無かったです(笑)。


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